OUR JOURNEY

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第1章

日本が大きく変わり始めた時代、
「情報と文化のグローバルコミュニケーター」始動 

1973年8月15日、株式会社マイナビの前身である株式会社毎日コミュニケーションズが誕生した。
第1次オイルショックが発生したその年、日本経済は戦後初のマイナス成長へ移行。長らく続いた高度経済成長期は、いよいよ終焉を迎える。それまで急速に成長してきた製造業や建設業などの第二次産業から、サービス業、卸売・小売業など第三次産業のウェイトが高まり、生活者は物質的な豊かさだけでなく精神的な充足も重視するようになった。
大学生の就職事情に目を向けると、こちらも市場の慣習に大きな変化が生じ始める。企業が指定する大学の学生のみが採用試験を受けることのできる指定校制が衰退し、学生側が企業を選んで応募する自由応募制が主流となっていった。

そのような社会の大きな変化と向き合い、時代の先を読んで新たな事業展開を企てたのが、当時、毎日新聞社の英文毎日営業部長で、毎日コミュニケーションズ初代社長となる江口末人である。「出版」、「美術」、そして「就職情報」という3つの事業を展開する毎日コミュニケーションズを設立。戦後の日本が新しい扉を開けた終戦記念日である8月15日に船出することとなった。

各分野のスペシャリストを社外からも積極的に召喚し、多様なビジネスのプロフェッショナル集団として、10数名という規模でスタートを切る。1976年には、さらに海外研修事業も開始。絵画・美術品の輸入販売をはじめ、大規模展覧会の全国開催、豪華写真集や近代の新聞記事を編纂したニュース事典の出版、個人留学の手続代行や日中文化交流事業などを精力的に行い、中には文化事業として高い評価を受けたものもあった。

一見、関連性の薄い事業を集めたように思えるが、国際化と情報化の時代において「情報と文化のグローバルコミュニケーター」という理念を掲げ、幅広い領域の有望かつ社会的・文化的事業を国内外で展開することを毎日コミュニケーションズのカラーとした。この創業時からの複合的な事業構成は、50周年を経た現在にも引き継がれ、やがて苦境の時代を乗り越える力にもなっていくのだった。

複数の事業の中で、創業当初から会社の柱のひとつとなったのは就職情報事業である。当初発刊していた情報誌は配布対象が限定的であったが、1981年には現在の就職情報サイト「マイナビ」につながる大型企画である就職情報誌「毎日就職ガイド」を発刊した。
ただし、当時の就職情報業界は1社が独走状態で毎日コミュニケーションズは次点争い。2位以下はどんぐりの背比べの様相を呈していた……。

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