第2章
社員が一丸となって成長していった時代、
「総合就職情報企業」としての基盤確立へ
創業から10年以上が経ち、毎日コミュニケーションズは順調に成長を続けていた。1986年には男女雇用機会均等法が施行され、女性の社会進出がより加速。働く環境が大きく変化していく時代に、就職情報市場も盛り上がっていった。
当時の常務取締役で、後に2代目社長となった佐々山泰弘は、「長期的労働力の不足を補うために新規学卒者のニーズはますます強くなる」と読み、新卒者向けの就職情報事業にますます注力していく。
大学生にとって就職情報は進路を決定するための有力な手段であり、彼らの将来計画に貢献することは、日本の未来に貢献することでもある。単に利益追求が目的ではないという自負も、事業の拡大に拍車をかけた。
「毎日就職ガイド」は発刊以来、大学に据え置くとともに、学生の自宅に直接送付する方法で配布してきたが、この頃からさらにより多くの学生へより早く届けることに注力していく。当時の経営陣は全国の社員にたびたび号令をかけ、自社の戦力を鍛えるべく、日々営業会議を開催した。
そして、1986年、「毎日就職ガイド」について、その後の社の成長に影響を与える明確な指針が出される。それまで約600社程度しかなかった掲載社数を1,000社以上にすることや、誌面をより扱いやすいサイズに変えることなど、営業しやすい就職ガイドに変えることを決定し、このことが功を奏して売上を急速に伸ばすことに成功した。
佐々山は「質の高い編集能力と地域コミュニティーに根ざした強力な情報 (広告) 収集・営業力を有した会社こそが、21世紀に日本の情報産業の中で大きく飛躍しているはず」とし、毎日コミュニケーションズがその一角を占めることも夢ではないと語っていた。そして、1988年には21世紀を展望したスローガンとして「コミュニティー情報産業のパイオニアとして1000億企業へ」と宣言。まだまだ「中小企業」といえる企業規模だったにもかかわらず、そんな夢の夢とも言えるはるか遠い未来の目標が飛躍を後押ししていた。
経営陣が現場の社員を鼓舞し、「総合就職情報企業」としての基盤を固め、勢いをつけていった毎日コミュニケーションズ。1986年12月 から起こったバブル経済の波にも乗り業績は好調を続けた。
しかし、翌91年にバブル経済が崩壊。毎日コミュニケーションズも大きな打撃を受ける。日本経済がかつてない経済不況に陥るなか、新たな活路を探ることとなった。