PURPOSE STORY

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何十年後も残る、共通言語を広めていく。

株式会社マイナビ 執行役員 社長室長 粟井 俊介 (あわい・しゅんすけ)

「パーパス」ってなんだろう?

「ミッション」や「経営理念」と似ているけど、ちょっと違う。
企業と社会のつながりが欠かせない今、
ビジネスシーンで“存在意義”と訳されるこの言葉が、
多くの企業に求められている。

《一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。 》

これは、マイナビが掲げたパーパスとともに歩く、
社員一人ひとりの物語。





マイナビってどんな会社? そう聞かれたとき、ひとことで明快に答えられる人はどれだけいるだろう。

確かに存在は知っている。でも、いろいろな事業をやっている分、会社の輪郭が見えにくい。それを「謎めいている」と表現したのはマイナビ執行役員 社長室長の粟井俊介。今回の50周年プロジェクトの責任者を務める人物だ。

しかし、彼自身はマイナビという会社の輪郭、その意志を明確に捉えている。そしてそれは、企業の存在意義を示す「パーパス」に表現されているという。だから彼は強く言い切る。「このパーパスの浸透を50周年プロジェクトの軸にした」と。

どうせ苦労するなら、好き勝手やらせてもらおう。

着任前は、仙台に1年半ほど赴任していた。東京本社に戻ってきた昨年7月、50周年記念プロジェクトの旗振り役を任される。「任されたというよりは、いつの間にか決まっていた感じで。すごい役割が降ってきたなと思いましたよ」と、屈託のない笑顔を見せる。

全社を巻き込む大変なミッション。どうせ苦労するのなら、「ちょっと好き勝手やらせてもらおうかな」と考えた。その意味を聞くと、ぐっと表情を引き締めて、こう語り出した。

「好き勝手といっても、何も考えずにやりたい放題やるってことではなく、どうせやるなら何年後かに『この取り組みがきっかけで今のマイナビがある』と言われる仕事をしたかったんです。ただただ50周年をお祭り騒ぎのように祝うだけなら、僕はやる意味を感じないと思ったので」

50周年の節目に何をやればよいのか。それを考えるため、彼が最初に取り組んだのは、昨年作られたマイナビのパーパスを読み解くことだった。粟井は仙台にいたため、策定のプロセスに関わっていない。どんな過程でマイナビの存在価値を表現する言葉が生まれたのか、まったく知らなかった。

そんな中、実際のパーパスを目の当たりにして、「すんなりと腑に落ちたんですよね」と、穏やかに振り返る。

《一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。》

「マイナビのパーパスって、大きく2つのパーツに分かれていますよね。前半の部分は、今まで我々がサービスを通じて、幅広いユーザやクライアントに向き合ってきたこと、その姿勢を端的に表す表現だなと思いました。後半は、多様化が進み、予測不可能なことも増えて、ともすれば「未来」が、不安とともに語られがちな世の中で、すべてとは言わなくても、その一部を照らす存在になりたい。そういう会社の意思を表現していると感じましたね。」

粟井は、マイナビに対して世の中の人が抱くイメージを「良くも悪くも謎めいている」と表現する。それをそのまま会議で言ったこともあった。「どんな反応が来るかと思ったら、意外と参加者に刺さっちゃって」。その光景を思い出してか、話しながら顔をほころばせる。

「ただ、これはあくまで社員や世の中の人の抱いている感覚を代弁したのであって、僕自身はマイナビの会社像を明確に持っています。完成したパーパスを見たときも、それが表れていたから腑に落ちたんですよね」

自分の行動で、誰かにポジティブな影響を与えたい。

そんな粟井は、これまでどのような想いで働いてきたのだろうか。彼は新卒でマイナビに入社し、ちょうど20年が経過したところ。そのキャリアに共通する姿勢はあるのだろうか。

そう聞くと「これは入社以前の話ですが」と前置きして、ある原体験を語り始めた。

「一番初めになりたかった職業は教師だったんです。自分のしたことを通じて、いろいろな人にポジティブな影響を与えたかった。たぶんその気持ちは今も変わらないし、ある意味で僕自身のパーパスと言えるかもしれない」

だから大学では教員免許も取得したが、すぐに教師にはならなかった。

「その当時はインターネットが急速に普及し、人々の生活や価値観がどんどん変化していく最中でした。そしてこの先も変化し続けるであろう中で、自分自身が視野を広げないと成長が止まってしまうのではないかという不安もあったんです。親からは『20代で先生なんて呼ばれていい気になるんちゃうか』と言われて、その時は『そんなことないわ!』って反論していましたが、確かに自分ならそうなってしまう恐れもあるなと。それで、一度サラリーマンを経験して世間を幅広く知ってから教師になっても遅くないかなと思ったんです」

そこで教育畑に近い会社を探し、当時の毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)に入社した。ただ、彼がやりたいのはあくまで「人にポジティブな影響を与える」ことであり、それを実現できる仕事は教師だけだと当時は信じていた。サラリーマン生活はその前の準備期間のつもりだった。

他のどの会社よりも人の役に立てる存在に。

実際に入社すると、大阪支社の就職情報事業に配属。日々企業を訪問して、新卒採用に関する提案営業に奔走していたという。「もはや教育とも関係ない仕事ですよね」というが、彼の原体験はここにあった。

「でも働いてすぐに、教壇に立たなくても、ここで自分のやりたいことを実現できると思ったんですよね。なぜかというと、マイナビの仕事の核は『どうすればお客さまのお役に立てるか』でしたから。企業に頼まれて、僕が内定者に社会人の基本を教える研修をしたり。人事担当者が必要とする新卒採用の動向や初任給の相場を聞かれたら、必死に調べて伝えたり。マイナビで、やりたいことができてるじゃないか、それなら教師にならなくてもいいんじゃないかと」

今ではグループ社員が1万3000人を超えたマイナビだが、粟井が入社した20年前は500人しかおらず、知名度も低かった。

「まずは知ってもらうのがスタートでしたよね。だから、他のどの会社よりも役に立てる存在を目指したし、その姿勢がマイナビの原点だと思っています」

役に立つ。人にポジティブな影響を与える。どちらも突き詰めれば同じ方向を向いた考えであり、粟井が思うマイナビの原点と粟井個人の原点は重なって見えてくる。そして彼は、それを20年間体現し続けてきた。だから今も教壇には立たず、ここにいる。

50周年プロジェクトの責任者になる直前、仙台にいた1年半もマイナビの姿勢を再認識する経験になった。

「実は仙台で、女子プロサッカーチームの立ち上げを担当していました。さすがに最初は戸惑いましたよ。マイナビがサッカー? それって事業とどう関係があるの?って。でも考えが変わりました。人の心を揺り動かす力を持ったスポーツ分野に関わることで、人に寄り添うマイナビの事業にも還元できる。人にポジティブな影響を与えるという意味では、スポーツもマイナビの事業も一緒だと」

マイナビの共通言語を広めていきたい。

20年前の新卒時代から直近の仙台まで、粟井が感じ続けたこの会社の姿勢。それを示すパーパスだからこそ、50周年プロジェクトとしてこの言葉を社内外に浸透させようと考えた。

「最初からそうしようと思ったわけではないんです。社員が1万人以上に増える中で、自分のやりたいことがあってもできない人がいたり、会社がどこを目指すかというところで、全員が同じ想いを持っていなかったり。その結果、やめてしまう人も増えていた。僕らの会社は人がすべてで、たくさんのメンバーが一斉に動くと大きな力を生む。じゃあその一体感をどうつくるか。このプロジェクトで何かできないかなと悩んでいたんですよね」

そのとき、あるメンバーがこんなことを口にした。「パーパスがあるじゃないですか、その浸透を目指しましょう」。粟井も確かにそのとおりだと、提案に同意した。だから「この取り組みはメンバーが思いついてくれたことなんですよね」と、正直に口にする。

「これまでマイナビには、外に向けて会社がどういう世界を目指していくかという共通言語がなかった。だから謎めいていたのかもしれない。でも、これからマイナビで働く若い人のためには謎めいている場合じゃないんです。だからこそ共通言語としてパーパスが作られたはずですし、マイナビ全社員に共通するひとつの型をつくることがその第一歩だと思っています。その型を50周年プロジェクトで広めていくのがいいのかなと」

未来の答えは教えられなくても、サポートはできる。

社内だけでなく、世の中へ向けてもマイナビのパーパスを伝えていく。新たなCMも公開されており、そこに込めた想いを口にすると、彼の語気はまたひとつ強まった。

「あのCMで表現したかったのは、混沌として未来が見通しづらい世の中で、各人が人生の可能性を探してもがきながら、1つの納得できる前向きな未来に近づいていく姿です。見通しがきかない時代に、私たちがすべての答えや選択肢を提示できるわけではない。けれど、あとで本人が後悔しないような、納得できる選択につながる情報を提供することで、前向きな一歩を踏み出すサポートをすることはできる。そんな想いを込めたつもりです」

パーパス浸透だけでなく、サステナビリティへの取り組みなども50周年プロジェクトの一環として考えている。「今までマイナビがやってこなかったことに挑戦したいですね」。旗振り役はそう意気込む。

教壇に立たなくても、ここで自分のやりたいことが実現できると感じた20年前。そしてスポーツの事業にも通じていたマイナビの姿勢。この会社は、謎めいてなんかいない。パーパスにその答えがあるからこそ、彼は50周年プロジェクトとしてこの共通言語を広めていく。何年先、何十年先の未来で「あの取り組みが今のマイナビを作った」と言われるように。

株式会社マイナビ 執行役員 社長室長

粟井 俊介 (あわい・しゅんすけ)

2003年株式会社毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)入社。
大阪支社の就職情報事業本部で新卒領域の営業を8年間経験した後、2011年に東京本社に異動。就職情報事業本部 事業推進部で企画職に従事する。
2017年から大手クライアント専門チームに配属。2020年から社長室長補佐として、女子プロサッカーチーム「マイナビ仙台レディース」の立ち上げに従事。
同12月から1年半にわたり株式会社マイナビフットボールクラブの社長を務めたのち、2022年7月より現職。

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