「近代五種」を通して、明日の活力になれるアスリートに。
「パーパス」ってなんだろう?
「ミッション」や「経営理念」と似ているけど、ちょっと違う。
企業と社会のつながりが欠かせない今、
ビジネスシーンで“存在意義”と訳されるこの言葉が、
多くの企業に求められている。
《一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。》
これは、マイナビが掲げたパーパスとともに歩く、
社員一人ひとりの物語。
競技人口が少なく、マイナースポーツとされる「近代五種」。フェンシング、水泳、馬術、射撃、ランニングを一人で行い、順位を競う複合競技だ。
元・近代五種の選手だった父を持ち、マイナビ所属のプロアスリートである才藤歩夢は、近代五種とフェンシング(エペ)の二種目で世界を相手に戦っている。さらに「近代五種を知ってもらえるきっかけになれば」という想いから、モデルの仕事にも取り組む。
万能性が求められ、一筋縄ではいかない競技の世界に向き合いながらも、才藤は常に気持ちを柔軟に切り替え、目の前のものごとを楽しむマインドを忘れない。「結果」のその向こうにある、才藤にとってのパーパスとは。
予測できないからこそ「近代五種」は面白い。
5種目を一人でプレーすることによって、万能性を競う近代五種。フェンシング・水泳・馬術の3種目の合計点が1点=1秒のアドバンテージとなり、最終的に射撃とランニングを組み合わせたレーザーランで勝敗が決まる※。
※最終種目のレーザーランは、これまでの3種目で上位の選手からスタートすることができる
日本近代五種協会によると、世界の競技人口は約14,500人で欧州では「王族・貴族のスポーツ」として人気を集める。一方、国内の競技人口は約50人と、普及しきっていないのが実情だ。才藤は、近代五種の2023年シニアナショナルチームランキング(女子)で国内2位を獲得しており、全日本選手権では2019年と2023年に優勝経験を持つ。
幼い頃から同競技に親しんできた才藤は、「予測が難しい試合展開」が近代五種のおもしろさだと考えているという。
「5種目のうち、すべてが平均でも、どれか1つだけを伸ばしても勝てません。得意な種目で差を付けつつ、いかに苦手な種目でも伸ばせるかが勝敗を左右します。各選手の得意・不得意が異なるため、終盤でも挽回しやすい。最後にゴールテープを切るまで、誰が勝つのかわからない緊張感があります」
各種目の間に着替えを含めたインターバルがあり、短時間でつぎの種目への切り替えもしなければならない。
「以前は30分〜1時間のインターバルがあったのですが、最近は観客の見やすさを考慮して、1試合全体の時間が短縮されています。短時間で息を整え、つぎの種目のイメージトレーニングを行うのですが、インターバルでの過ごし方がつぎの種目の結果に影響します。さまざまな場面で各選手、異なる戦略が見られ、最後の一瞬まで目が離せない。その奥深さも近代五種の魅力かもしれません」
「世界で戦える選手になりたい」という夢。
才藤の父、才藤浩氏は近代五種の選手として華々しい経歴を持ち、指導者としても第一人者として認められている。そんな父の誘いで、10歳のとき近代五種の世界に足を踏み入れた。
「父親は子どもたちに近代五種を教える活動もしていて、『(ほかの子どもたちと)一緒にやるか』と誘いを受けて、習い事感覚で練習を始めました。『いろいろな種目ができて楽しいな』と、この世界に惹かれていきました」
より近代五種を追求したい気持ちが芽生えた才藤は、中学生になると陸上部に所属して運動能力を磨いた。
「中学校の部活では近代五種部やフェンシング部がなく、陸上部か水泳部の二択でした。水泳部はそれほどレベルが高くなかったこともあり、部活では陸上に専念し、空いた時間にスイミングスクールに通って水泳を練習することにしました」
すべての種目の練習環境を整えるのは容易ではなかったが、休日に馬術や射撃の練習を重ねるなどして、着々と各種目の実力をつけていった。ただ、対人競技であるフェンシングだけは、なかなか練習の機会に恵まれなかったという。
「中学生のときにはじめて近代五種の国際大会に出場して、そこでフェンシングが苦手だと自覚しました。経験不足もありましたが、それだけでなく欧米の選手と明らかな体格差があり、パワーやスピードで劣っていました。国内なら身長が不利になることはないのですが、海外に出てはじめて、体格差を縮める努力をしなければと痛感しました」
そうした想いから、高校進学を機に才藤はある方向転換を図った。
苦手だったフェンシングが「強み」に変わった。
苦手を克服しなければ、世界の選手と互角に戦えない。特に、フェンシングは海外の選手と差がつきやすい種目だ。近代五種の選手として世界で戦ってきた父親にもアドバイスを受け、才藤はフェンシングの強豪校・埼玉栄高校への進学を決めた。
「当時、フェンシングの実力は素人同然でしたが、集中的に練習したことで上達していきました。周囲には小中学生からフェンシングを続けている部員もいて、何とか彼らに追いつきたいと取り組めたのがよかったのだと思います」
このときから、近代五種に加えてフェンシングでも試合に出場するようなった。試合のスケジュールに合わせて、フェンシングに集中したり、その他の種目に取り組んだりしていたという。
「5種目もあるので、効率的に練習しないと時間が足りません。時間配分を考えながら、今集中すべき種目に全力で取り組む。この頃から各種目のバランスや競技間の切り替えを、より強く意識するようになりました」
苦手を克服したいと、ひたむきに練習を続けるうち、いつしか自身の強みに変わるほどフェンシングが上達していた。「ここまで伸びたなら」と、フェンシングの選手としても活躍の幅を広げることに決めた。
「世界と互角に、とはいかずとも、アジア選手権ではトップに食い込むぐらいに上達していました。一方で、今度は水泳とランニングに苦手意識が芽生えてしまって。今でもその2種目が弱いので、練習あるのみですね」
1つの種目だけを伸ばしても、最終的な結果に結びつきづらい。万能性を競う近代五種という競技の難しさは、ここにあるのかもしれない。
追い込みすぎず、楽しむことが大事。
近代五種とフェンシングの選手に加え、才藤にはもうひとつの顔がある。大学生時代から始めたファッション・モデルだ。
「『近代五種を知ってもらえるきっかけになれば』と挑戦することにしました。普段着ないような衣装に身を包んでシャッターを切られるのは、心地いい緊張感があり、よい気分転換になっています」
才藤のインスタグラムでは、モデル活動のほか、食事を楽しむ様子などプライベートも垣間見える。「アスリートの苦労する姿ではなく、楽しんでいる姿を見てほしい」という想いがあるためだ。
「私は生活を極限まで制限してストイックに競技に向き合うより、競技もプライベートも楽しむことを大事にしています。そのほうが最終的に選手寿命が長くなると思いますし、見ている人にとっても気持ちいいんじゃないかなって」
練習を終えて自宅に帰ったら、競技のことは考えない。休日はプライベートをとことん楽しむ。こうしたオンオフの切り替えは、才藤がアスリートとして生きるうえで欠かせないことだという。
「高校生ぐらいまでは、『競技漬けの生活を送らなくちゃ』という気持ちがありました。でも海外の選手を見ると、練習はしっかりやりつつプライベートも充実させている。私もうまく切り替えて楽しむことも大事にしようと。結果的に、そのほうが調子がいいと感じています」
若くして厳しいアスリートの道を選んだ才藤は、「どうしたらベストコンディションを保てるか」を追求するなかで、自身の扱い方や気持ちを切り替える重要性を学んできた。目の前のものごとに集中し、どんなときも楽しむ彼女の姿勢こそ、アスリートとしての強さにつながっているのだろう。
プレーを見た誰かが「がんばろう」と思えるように。
才藤が目標として掲げているのは、世界を舞台に活躍すること。
「父に追いつき、私も世界の舞台で戦いたい。そんな想いで日々の練習に励んでいます」
試合で成果を上げるだけでなく、近代五種を普及させていくことも重要な役目だと才藤は考えている。
「現在は全日本選手権でさえも観客がコーチと保護者だけ、というのが実情です。最後までハラハラしながら勝敗を見守る近代五種の醍醐味を、たくさんの方に生で味わってほしいと思っています」
そして、才藤の原動力になっている「多くの人を励ましたい」という想いこそ、彼女のパーパスといえるだろう。
「私自身もほかのアスリートの活躍を見ていて、胸を打たれることが多いので、私もそんな存在になれたらって。私が競技に励む姿を見て『自分もがんばろう』と思ってもらえたらうれしい。誰かの明日の活力につながればと思います」
近代五種は、馬術の代わりに「障害物レース」をあらたに加えた競技スタイルへの変更が決まっている。競技規定変更後は、すぐに障害物レースの練習を開始して、短期間で上達を目指さなければならない。
これもまたマイナースポーツゆえの困難かもしれない。しかし、才藤は磨いてきた「切り替えの早さ」と「何でも楽しむマインド」を発揮して、つぎのステージへの階段を颯爽と登っていくはずだ。
マイナビ所属プロ近代五種・フェンシング(エペ)選手
才藤 歩夢(さいとう・あゆむ)
1996年9月14日生まれ。東京都出身。近代五種競技の選手であった才藤浩氏(元日本代表監督)を父に持ち、幼少の頃より近代五種競技を始める。五種のなかでも得意とするフェンシング競技単体においても、国内トップクラスの実力を誇る。また、華やかな容姿を生かして、ファッションブランドのほか、さまざまなイベントやメディアに多数出演している。マイナビ所属。