「水」という不確実なフィールドで挑み続ける。
「パーパス」ってなんだろう?
「ミッション」や「経営理念」と似ているけど、ちょっと違う。
企業と社会のつながりが欠かせない今、
ビジネスシーンで“存在意義”と訳されるこの言葉が、
多くの企業に求められている。
《一人ひとりの可能性と向き合い、未来が見える世界をつくる。》
これは、マイナビが掲げたパーパスとともに歩く、
社員一人ひとりの物語。
日本カヌー界の第一人者として、多くのメディアで競技の魅力を伝え続けてきた、カヌー・スラローム選手の羽根田卓也。18 歳で単身スロバキアに渡り、スポンサー獲得にも自身で奔走するなど、ここまでの道のりは決して平坦ではない。しかし、マイナースポーツならではの苦労を語るその姿は、いつもどこかカラッと明るい。
羽根田のポジティブなマインドは、どのようにして培われてきたのか。不確実なフィールドで前進する方法と、その道標となるパーパスについて聞いた。
水をつかみ、その力で前に進む。
カヌー・スラロームは、コース上に設置された2 本のポールからなるゲートを順番に通過しながら、タイムと技術を競う種目だ。パドルを使い、人工の急流コースを漕ぎ下る様子から「水に逆らう競技」「激流に立ち向かっていく競技」とよく表現される。しかし、羽根田の印象は真逆だという。
「水はつかむと重く、重い水ほどカヌーを前進させます。カヌーで大事なのは、水の流れを読み、水の力を借りて前に進むこと。水をうまくつかんで自然と一体になれた瞬間はとても気持ちよく、この感覚は何ものにも代えられません」
水の上という、コントロールが効かないフィールドで戦うのは難しくないか? そう問いかけると「僕にとっては、陸上やゴルフなど、体一つで勝負する競技のほうがよっぽど難しく見えます」と、羽根田は笑う。
「カヌーのフィールドは流動的で、予想外のことがたくさん起こります。スタート前に進路を決めていても、計画どおりに漕げる確率は5 割程度。『できることはやったから』と開き直って、流れに身を任せることも求められます。そこがカヌーの難しさであり、気楽なところでもあると思うんです」
まさに行雲流水な羽根田の考え方は、競技に向き合っているときだけでなく、自身の人生観にも影響しているという。
「自分がコントロールできないことはもう考えない。肩の力を抜き、執着は手放す。そういうマインドは、カヌーをやってきたからこそ育まれたものだと思います」
「水は友だち」カヌーが楽しいものへと変わった。
羽根田がカヌーを本格的に始めたのは9歳のとき。それまで習っていた器械体操を辞め、カヌー選手として国体出場経験をもつ父のもとで兄と一緒にレッスンを始めた。
「実は、子どものころはカヌーが好きではありませんでした。川遊びの延長から始めればよかったのですが、大人の選手に混じって厳しい練習をこなす環境にいきなり飛び込んだので、すごくつらくて……。自分の背を越えるほどの高い激流に挑む恐怖も、なかなか抜けませんでした」
カヌーの面白さがわかってきたのは、中学生になってから。富山県にあるカヌー施設で行われた合宿に参加したことがきっかけだった。
「合宿中、激流にのまれて転覆し、1kmほど流されてしまったんです。それがトラウマになって、カヌーに乗るのも怖くなってしまいました。そのときに声をかけてくれたのが、合宿で出会ったドイツ人のコーチ。片言の日本語で『水を怖がらないで。水はあなたの友だちです』と教えてくれたんです」
コーチの指導のもと、緩やかな流れからスタートし、次第に激しい流れにも挑めるように。合宿が終わるころには、激流への恐怖がすっかり薄れていた。
「水をつかむ感覚を得たのは、そのときがはじめてでした。彼のおかげで、カヌーが楽しいもの、好きなものに変わっていったんです」
中学3年生になると、ポーランドで開催された国際大会に出場。羽根田はそこで、世界のレベルの高さをはじめて目の当たりにする。
「日本で見てきたカヌー・スラロームとは次元の違う世界が広がっていて、体中に電気が走りました。日本人選手としてこの世界に食い込むことができたら、すごいことが起こりそうだとワクワクしましたね」
憧れの選手に認められた気がした。
高校はカヌー部のある男子校に進学。朝は川で練習し、学校の休憩時間は筋トレ、放課後はまた川で練習して、夜10時ごろに帰宅する。「世界で勝ちたい」という一心で生活のすべてをカヌーに捧げた。ところが。
「高校3 年生のとき、ジュニアの世界大会に出場しました。世界の強豪に勝つつもりで臨みましたが、まったく歯が立たなくて……。あれほど練習漬けの日々を過ごしてきたのになぜ? 帰国後に考えるなかで、勝てないのは当然だと気づいたんです」
カヌーは通常、人工のコースで練習を行うが、日本にはそのコース自体が少ない。練習環境すら整っていない日本で、コーチもつけず一人で練習していても、強豪国の選手たちに勝てるはずがなかった。
「強豪国の選手と同じレベルで戦いたいなら、彼らと同じ環境に身をおき、“勝てる理由”をつくらなければならない。このまま日本で練習を続けていてはダメだと思い、一人でスロバキアに渡ることを決めたんです。言葉が通じないなか、みずからスロバキア語を覚えて必死に食らいつきました」
当時から、羽根田には憧れの選手がいた。武者修行の先にスロバキアのクラブチームを選んだのも、その選手が在籍していたからだ。コーチやチームメイトとスロバキア語で冗談を言い合えるようになってきたころ、その選手が羽根田に声をかけてくれた。
「彼は、練習時から難しいコンビネーションにトライすることで有名でした。そのくらい、自分にも他人にも厳しい。あるとき、僕が難しいコースを前にして、これは無理だと怯んでいたら『不可能はない、やるかどうかだ』って、スロバキア語で励ましてくれたんです」
ありふれたセリフかもしれない。しかし、英語も堪能なその選手が、あえてスロバキア語で伝えてくれたことが、羽根田にとっては嬉しかった。
「スロバキアに行った当初、彼は一緒に練習をしてくれませんでした。ただ、おそらくずっと気にかけてくれていて、僕の実力が上がってきたころに、練習に誘ってくれるようになったんです。同じ世界で戦う相手として認められた気がしましたね」
人生を楽しむコツは視点を変えること。
スロバキアでの10年にわたる武者修行。世界と戦う力を蓄える陰で、羽根田はスポンサー探しにも奔走してきた。みずから10社以上に履歴書を送り、その多くから門前払いされるなか、面接の連絡をくれたのが現在の所属先だったという。
「これまで数多くの大会に出場してきましたが、どの大会でも、僕は“最後の一漕ぎ”をさせてもらっただけだと思っているんです。ここまで来られたのは、応援してくれたまわりの人たちのおかげ。だからこそ、この人と一緒に走りたいと思ってもらえるような選手でありたいんです」
2009年から一緒にトレーニングを続けているスロバキア人のコーチとは、今や家族同然の関係だ。自分とは異なる視点をもつコーチの言葉に、羽根田はいつもハッとさせられるという。
「あるとき、激しい雨やみぞれが打ちつける最悪のコンディション下で練習を行ったことがありました。今日の練習嫌だなと思っていたら、コーチが大喜びで外に出て行って『すごいな、今日の雨。この大自然を感じながら練習できるなんてお前は幸せ者だ』って嬉しそうに言うんですよ」
同じ出来事に遭遇しても、とらえ方一つで、目の前の景色はネガにもポジにも変わる。「そこに、人生を楽しむコツが隠れているんじゃないか」と、羽根田は力を込めて言う。
「スロバキアでの10年間について、メディアでは『苦節10年』と表現されることが多く、僕自身もつらく苦しいことを乗り越えてきた10年だと思い込んでいました。でも最近、そうではなかったことに気づいたんです。カヌーに没頭し、目標をクリアしてきた時間は、実はとても楽しいものだった。視点を少しずらすだけで人生の色づき方は変わるし、生き方自体も変わってくるんじゃないでしょうか」
感性を磨く時間を大切にする。
「視点を変える」には柔軟な発想力が必要であり、それは「感性の豊かさ」とも言い換えられる。羽根田自身、感性を磨くために、意識的に行っていることはあるのだろうか。
「最近は、現代アートの美術館によく足を運んでいます。解釈が難しい作品に出会うと『どんな視点で見ればおもしろがれるだろう』とワクワクしてきますね。ただ見るだけでなく、作品の第一印象や、こういうコンセプトがあるのでは? といった気づきを言語化することも大事。一種の筋トレだと思って取り組んでいます」
もう一つ、コロナ禍に始めたという茶道も、羽根田にとっては大切な習慣だ。
「茶道に対して優雅なイメージをもつ人もいるかもしれませんが、実はお点前を覚えるのが本当に大変なんです。一生懸命、手を動かしていると、あっという間に2時間ほど過ぎていることも。トレーニングでいくら悩んでいても、没頭しているうちにすっかり忘れて気持ちがフラットに戻っていく。そういう時間の尊さを、茶道をとおして学びました」
生き様やストーリーを伝えられる選手に。
近年、メディアに登場する機会が増え、「ハネタク」という愛称で親しまれるようになった羽根田。自分の名前とともに、カヌー・スラロームという競技が広く認知されていくことを、どのように感じてきたのだろうか。
「僕が競技を続けてきた理由はここにあったんだ、と思いました。高校3年間を競技に費やし、スロバキアへ渡って、スポンサーも自分で探して……。その原動力はなんだったのか。それはやっぱり、自分がやってきた競技の魅力をたくさんの人に伝えたいという想いなんですよね」
自分の姿や言葉でカヌー競技の魅力を伝えていくこと。そして次世代へとつなげていくこと。それこそが、羽根田のパーパスだ。
「スポーツの魅力は、数字だけではありません。タイムやスコアはスポーツを彩る要素の一部でしかなく、そこに至るまでのストーリーこそが、観る人を感動へと導くのだと思っています。スタート前の目つきやゴールした瞬間の表情、どんなインタビューを受けて、どう答えていくのか。順位だけでなく、生き様やストーリーまで含めて、競技に関心をもってもらうことが僕の理想です」
いくら努力を重ねても、一人でできることは限られている。だからこそ、アスリートには多くの応援が必要だ。
「ここ数年、これまで以上に“人の顔”を思い浮かべてレースに臨むようになりました。競技生活を支えてくれるまわりの人たち、競技への熱量を高めてくれる観客のみなさん。これからも、そういう方々に『羽根田を応援してよかった』と思ってもらえる姿を見せていきたいですね」
マイナビ契約カヌー・スラローム選手
羽根田 卓也(はねだ・たくや)
1987年、愛知県出身。マイナビ契約アスリート。父と兄の影響で7歳から器械体操の経験を積み、そののち9歳からカヌー・スラロームを始める。高校卒業後の2006年、カヌー強豪国のスロバキアに渡り、2009年に現地の難関大学コメニウス大に進学。大学院も修了する。
2016年のリオ五輪でアジア人初の銅メダルを獲得し、「ハネタク」の愛称で広く知られる存在に。アジア選手権、NHK杯など、国内外の大会においても多数のメダルを獲得。