第3章
目指せ!「複合型総合情報産業カンパニー」
バブル崩壊の危機から反転攻勢へ
1991年から93年にかけて、日本の景気は大きく後退した。いわゆる「バブル崩壊」である。高騰を続けていた地価は下落し、不良債権を抱えた銀行の経営は悪化。融資の貸し渋り・貸し剥がしも横行し、企業の倒産は相次いだ。それに伴い、大学卒業者に対する求人数も1991年をピークに一気に減少へ転じる。
そのあおりを受け、毎日コミュニケーションズの就職情報事業も底知れない打撃を受ける。売上げは大きく減少し、ひたすら耐え忍び反転攻勢の機会を窺った。
そのような中、急成長の兆しを見せたのがパソコン業界だ。1992年、動画や音声などのマルチメディア機能が搭載されたWindows 3.1の登場は、パソコンの用途がビジネスからエンターテインメントへ拡がるきっかけに。その一方で、デザイン関連の先端ソフトウェアを動かせるMac(Macintosh)がデザイナーを中心に人気を博した。
急激に広がるパソコン市場に目を付けた毎日コミュニケーションズは1990年、仕事とパソコンの専門誌「The 1・2・3 magazine」を発刊する。さらに1993年、Macの情報を扱う月刊誌「MacFan」を創刊した。ただし、当時のMacは、一式100万円もするような高価な代物。会社が社員に支給するにはあまりにも高額だったため、個人的にMacを所有する社内の新し物好きに声を掛け編集部を結成した。
とはいえ、非常にマニアックな世界。社内では「こんな雑誌、売れないだろう」と囁かれたが、戦前の予想を裏切りヒットを記録。副編集長が女子プロレスファンだったことから、人気の悪役プロレスラーを表紙に起用したことも、書店でひときわ目を引き付けたのかもしれない。
その後もパソコン雑誌を立て続けてにリリースしたところ次々とヒットし、出版事業はたちまち就職情報事業の利益を超えるまでに成長した。
ただし、出版部門の功績は、会社の売上を戻しただけではなかった。パソコン雑誌の制作手法にもこだわり、「オールデジタル化」で対応していたのだ。誌面をMac上で組み上げていき、編集後は印刷会社にデータで渡す。やがて当たり前となる雑誌制作のデジタル化を先読みしたこの取り組みは、のちの「紙」メディアから「デジタル」メディアへのスムーズな移行を後押しする形となった。
さらにこの時期、毎日コミュニケーションズは、出版事業を伸ばしていくとともに、高校生に向けて進学情報を提供する新事業をスタート。しばし低迷していた就職情報事業においても、1995年12月には、インターネットによる就職情報企画「Career Space」(99年11月に「毎日就職ナビ」としてリニューアル)を始動。97年に創刊した中途採用情報誌「Info Shock」は不振に終わったが、その一方で人材開発部門(人材派遣事業)を開設するなど、事業フィールドを意欲的に拡げていった。
まさに、業績の回復に留まらず、進学・人材・出版のトータルなサービス提供と情報発信を行う「複合型総合情報産業カンパニー」を目指した反転攻勢へ転じる。この90年代後半の多角化は、21世紀へとつながっていった。